二の丸東溜り

 安土城天主は南西側に小天守を含む枡形が接続する「特殊連立式天守」と言えるのではないだろうか。但し、姫路城や伊予松山城の様な中庭の在る連立式では無い。

 そして「二の丸東溜り」に礎石列が検出されているが、ここは恐らく設計ミスだろう。天主台に接近し過ぎており、天主屋根からの雨粒が石垣で跳ねて漆喰壁を汚してしまう。恐らく完成後に壁を撤去し、支保工も兼ねて補強の為に柱を追加したと考えられる。その為、この礎石列のみ約1m間隔になっており、柱の断面寸法もバラバラなのだろう。柱は鉄板が巻かれていたか、朱塗りなのかは不明である。この部分は濡れ縁になっていたのではないだろうか。奥には厠が在ったのかもしれない。門番及び来賓の家臣(身分の低い)用ではないだろうか。その手前は物入れだろう。

 また、ここに鎮座している「蛇石」と伝わる巨石は、地震で転がり落ちた天主の算木石(天蓋石)ではないだろうか。裏返しになっていると思われ、もしかすると、天主の漆喰跡が残っているかもしれない。

 図面は未完で想像ではあるが、恐らく、現在発掘で知られている礎石列の西側1間の所に、礎石列が存在するはずである。恐らく、厠の在る辺りには枡形の小さな石積み跡が残っているだろう。この部分は3層の櫓門であり天主と繋がっていて、来賓者は、ここから天主へ登閣したと考えられる。

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