大手道

 ほぼ直線部分の長さ約130m、巾1.2m×深さ0.7m程の側溝が両側に在り、更に西へ折れ曲がり黒鉄門へ接続する構造である。この側溝は単なる側溝では無く、一種の”堀”である。この道の側溝としては規模が大き過ぎる。天皇行幸用の道との見解も有るが、私的には両側や正面に多数の狭間(銃眼)を備えた「直線状枡形」と考えている。よくある枡形では一度に処理できる人数は限られてしまい、遺体を片付けないと次の敵が侵入して来れなくなるからだ。ところが「大手道」の場合、両側に側溝(小型の堀)が在るので処理し易くなる。

使い方は次の通りと考えられる。

 先ず、おとり役が大手門を通って「大手道」へ逃げ込む。門は開け放した状態のまま、奥へ敵を誘い、充分に引き付けた所で正面、左右の狭間から一斉に鉄砲や弓矢を射かける。最後尾の敵は門外へ逃げ出すが、大手門の両側の武者溜りから追い打ちをかけ、殲滅する。一旦門を閉め、敵の首を刎ねた後、首級は塀の内側へ持ち込み、胴体は両側の側溝(堀)へ投げ捨てる。武具を着けた人の体積を仮に0.15㎥とすると約110㎥×2箇所なので単純に考えると、少なくとも1500人程度を処理できる事になる。考えただけでも恐ろしいが。

 小牧山城にも同じ構造の大手道が在る事が知られているが、家康が籠城した時に使われたかは不明である。秀吉が攻めあぐねた理由の一端かもしれない。

 大手道を見るだけでも、安土城が籠城を想定して防御に徹して建造されている事が良く分かる。決して見せる為だけの城では無い

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