天守の天辺に頂いているのは一般的に「鯱」である。というより「鯱」以外見た事が無い。
では「鯱」とは何だろうか?
空想上の生物で、口から水を吐き消火するらしい。元々はインドの神様の“乗り物”「マカラ」で、それが中国を経由して日本に伝わり「鯱」に変化したとの事。
一方、「鳳凰」は、同じく空想上の生物ではあるが、「春秋時代の『詩経』『春秋左氏伝』『論語』などでは「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」といわれる瑞獣(瑞鳥)の一つとされる。(Wikipediaより引用)」
安土城天主を宗教建築と捉えている研究者も居るが、内部の絵画を調べてみると宗教的要素が有るのは「二重目」のみで、「三重目」以下は俗世界を表現しており、最上階の「上一重」は思想・哲学的要素で構成されている。天主全体で信長の世界観を表現していると考えられ、特に「上一重」は信長の思想あるいは、信長自身を表現していると言えるのではないだろうか。とすると、釈迦の居る世界である「二重目」より上に位置し“仏“を超越した存在である信長の頭上に“乗り物”を頂くだろうか。水煙も考えられるが仏舎利とも関連するので、やはり相応しくないし、既に「二重目」に擬宝珠が存在する。
以上により天主最頂部には金箔で飾られた「鳳凰」が在ったと推定する。安土城が「天守」ではなく「天主」と呼ばれる所以でもあるのだろう。