天主礎石から解る事

 礎石は主に、柱もしくは土台を雨水等で濡れて腐らない様に地盤から浮かせる事と、荷重を分散させて効果的に地盤に伝える言わばフーチングの役割を担っている。

 架構とは、柱と梁で構成された構造で建築の基本的な構成である。鳥居を連想すると分かり易い。建築設計でよく使われるのがラーメン構造(接合部が剛接合されている架構)で、これを複数平行に配置し、頭繋ぎやブレースで接合すると一つの建物が出来る。倉庫や工場でよく使われる構造である。鳥居はラーメン構造では無いが、高さを変えて同様に複数を平行に並べて梁で繋ぐと、切妻屋根の建物が出来上がる。

 では、この架構に地震や風圧の水平力を加えるとどの様になるのか考えると、X、Y方向からそれぞれ力が加わった場合(図1)、計算するまでも無くY方向の方が柱頭の変位は大きくなるのが想像できるだろう。この架構を自立型の構造物と仮定すると、基礎はY方向にフーチングが長い形状(図2)になる。これは転倒モーメントを考慮するからである。

 ここで安土城天主の礎石(図3:特別史跡安土城跡発掘調査報告12(滋賀県教育委員会)より引用)を見てみると、大きさは一定では無いが長軸を南北(上が北)に向けて配置されているのが分かるだろうか。柱は礎石に対して”光付け”され据えられており、天主の荷重が柱と礎石の接触面に掛かるため大きな摩擦力が発生し、礎石と柱は一体となって動くと考えられる。長軸を南北方向に向けているのは、前述の通り転倒モーメントを考慮しているからである。つまり、安土城天主の架構(中心となるのは大棟の軸)は東西方向である事が礎石から見て取れるのである。現存する建築物で言えば、姫路城天主群の渡り櫓の図面(図4:姫路市立城郭研究室所蔵「姫路城昭和の大修理工事図面」より引用(使用許可済み))を見ると礎石の向きが架構に対して直交しているのが良く解る。恐らく安土城天主の架構は姫路城天主と同じく、東西方向の架構に南北方向の梁を掛けるフィッシュボーンの様な構造だと推定される。よって南北方向に大棟を配置している復元案は実状と一致せず不整合と言える。

 礎石の大きさがバラバラなのは自然石を用いている為だが、当復元案で大きな荷重が掛からない南側に巨石を配置している所もあり、今後再検討が必要になるかもしれない。単に大きな資材を天主台に揚げる為の櫓を据えた跡だろうと考えてはいるが。

 何れにせよ、昨今の様に計算方法が無かったであろう時代に、これだけの事を恐らく経験則で成し遂げてしまうとは、あらためて古人の知恵には驚かされる。

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