「八角四間ほと有」とあるが内陣の寸法を示しており、「四間ほと」とは対角の柱間の事である。瓦屋根は荷重が嵩む為、構造上、陸建ては避けたい。よって、上階の3間四方の四隅を頂点とする八角形平面とするのが最も合理的である。3間四方の対角の距離は√2倍なので「四間ほと」の記述と一致する。「上一重」と重なる3間四方四隅の柱は「通し柱」と考えられる。上が正方形断面、下が八角形断面と例を見ない通し柱ではあるが、技術的には不可能では無い。
そして、周囲には「御縁輪」が約1間(0.9間)幅で回っており、「御縁」と有るので連子窓が在る。夢殿等の八角堂を連想すると分り易い。構造上、外柱の対角距離は6間とする。
「御縁側の はた板ニハ しやちほこひれう」とあるが、「はた板」とは建築用語ではなく、茶道に関係する用語で「鰭板(端板)」と書く。これは茶道具の及台子等の柱の上下に在る魚のヒレの様な雲形状の力板の事であり、建築で該当する物と言えば恐らく「手挟(たばさみ)」であろう。村井貞勝は建築の専門知識に疎かったと思われ、知り得る限りの言葉で表現したのだろう。手挟が在るという事は縁側には海老虹梁ではなく虹梁が在り、その補強として龍や鯱の彫刻がなされ彩色された手挟が在ったと考えられる。
次に誤記と思われるが「上一重」の行間補完に「かうらんきほうしひうち ほうちゃくをつらせられ候」とあり、これらは「二重目」の項目と考えられる。「かうらん」とは「高欄」ではなく「勾欄」であり、今で言う階段手摺を指す。「高欄」を採用している復元案もあるが、もしそれが正しければ「上一重」と同じく「欄干」と表現されているはずである。内部階段が露出している建物はおかしいので外壁が存在する。「きほうし」は「擬宝珠」、「ひうち」は「火打ち梁」の事であり、これらは縁側に存在し「上一重」へ昇る階段に虹梁が干渉する(もしくは虹梁が階段の昇降の妨げになる)為、火打ち梁に置き換えられたと考えられる。「ほうちゃく」は風鐸の事であり、八角なので8個吊られていた事になる。「上一重」に風鐸は存在しない(明記されていない)ので「安土御天主之次第」の12個というのは後世に書き加えられた憶測だろう。内柱には登り龍降り龍が彫刻されていたのは定かでは無いが、北側3面には「釈門十大御弟子等」が描かれており、北側以外には壁は無かったと考えられる。