七重目

「此下ニ金灯炉つらせられ候」が七重目の説明である。「此」とは六重目の事を指していると解釈する。ここは石蔵と呼ばれている空間で部屋割りはされていない。礎石の配置から鑑みて土台は無く、礎石から直接柱が立つ「石場建て」と考えられる。「発掘調査報告書」にも「柱当たりの痕跡」との記載があり、土台が存在しない事を物語っている。つまり、床板が張られていない事の証左である。土台が在るのであれば、姫路城の様な礎石列になるはずで、安土城の様な碁盤目状配置にはならない。恐らく「根がらみ」が縦横に通っていて部屋としての機能を果たさないのだろう。部屋としての用途では無いので石蔵高さもそれ程高くは無く、高くても現状+1尺程度ではないだろうか。

 行間補完として「柱数二百四本」「本柱ふとさ一尺五寸四方」「六寸四方」「一尺三寸四方」とあるが、これらは1階部分の説明であり、「本柱ふとさ一尺五寸四方」「(一尺)六寸四方」は東西の心柱の末口寸法と考えられ、「一尺三寸四方」は1階部分の本柱を除く他の柱幅を示していると考えられる。「発掘調査報告書」の「柱当たりの痕跡」もそれと同大であるので間違いないだろう。因みに末口寸法を一尺六寸とすると、細り表から元口は約二尺三寸となり、姫路城の東西大柱と同等の寸法になる。位置は6間のコアの中心線上に東西それぞれ配置し、上階の軸方向力が通る様にした。

「安土御天主之次第」では、2階、3階の柱数をそれぞれ、116本、93本としている。1間間隔で柱を入れると、一致させる事は可能である。恐らく、建設に関わった大工等への聞き取りに由る数値で、信用できるだろう。

「広サ南北へ廿間 東西十七間」は四重目と同様、数え方次第で如何様にもなるので特に考慮しない事にする。下図はその一例。西側の外壁列を数えても「20間」とする事が出来る。

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