天主台は歪な七角形と言え、南北面は凡そ平行で東西面はそれぞれ南北面に直交しない角度を有している。これは、天主西側の枡形の三の門(二の門?)及び台所口へ接続する櫓門から侵入する敵を狙撃する為と考えられる。決して自然地形に合わせたのではなく、更に四角形でも無いのは死角を無くす為だろう。当時の技術でも四角形には出来たはずである。現に南北は平行に造られている。しかし東西面は平行では無い。それは発掘調査の資料から判断できる。東側に合わせて西側を平行にすると西側の石垣が捻じれてしまうのだ。現在知られている復元案は南北、東西それぞれ平行ありきで復元されている。それでは1階の正確な平面を復元する事は叶わないだろう。
石蔵内部も同様に菱形に近い六角形であり、ここには金灯炉が吊られてあるが、冬場はその中に着火した炭を入れ石蔵内部を温める。天主台南東部にはガラリ(7-1)及び風道が在り、そこから外気を導入し、石蔵内部通って「御土蔵」や南側の「御縁」及び床板の目地から建物上部へ抜けていく。つまり、床下暖房の役割をしている。石蔵内部が変形しているのは、空気の流れを考慮した結果と考えられる。夏場は温められた空気が上へ抜けると共に、地階から冷やされた空気が上がってくるのだろう。恐らく四季を通して快適だったのではないだろうか。
石蔵の高さは「発掘調査報告書」から約1.9m(6尺3寸)と判断した。現状の天主台北側の最も高い所は、ほぼ当初の高さを維持していると考えられる。中央部分の礎石が欠如しているが、建物中心から南へ1間ずれており、構造的には1階の床荷重のみを負担していると考えられる為、無くても差し支えは無いと判断できる。決して掘立柱の穴ではない。ほぼ中央に位置する為、着火した炭を入れる為の甕を埋め込んだか、或いは元々礎石が在り移設されたのかは不明であるが、長靴の様な断面をしているのは邪魔な自然石を取り除いた跡と考えられる。